☆蜘蛛の巣☆
[呪い]:呪いについて思うことを述べておきたい。この頃のネットや書籍による知識で呪術等を行う方が増えている。それは、私たちにとっては嬉々と受け入れたいことだ。 なぜなら、呪術への知識・理解が増えるのだから、ありがたい。しかし、間違った使い方もあって危険だ。 自らの知識欲を満足されるだけならば知識として吸収するだけにして欲しい。 だが、もう一つ忘れてはいけないのは、呪術に手を貸してくれる神仏的存在だ。 彼らは霊的な存在であり、強力な力を持っている。呪術を行って効果がないのは、霊的存在の有無への疑念ではなく、自らの呪術・魔術の未熟さであることを忘れてはいけない。また、彼らは、呪術・魔術に手を貸してはくれるが、約束事を違えれば、「罰」を与える存在であることを肝に命じておかなければ、大怪我をすることになる。 己の願望にそれだけの強い意志があるのであれば、成就する。 信念と意志力こそが自分自身を確立する。己が何者であるか? 語ることが赦されるだろう。
[霊障]:霊障といっても色々あるのは御存知だと思う。例えば、霊が憑依し肉体的にも精神的にも支配されてしまうもの。しかし、世の中は複雑なように憑依にも色々存在する。肉体への霊障だと倦怠感から始まり、妙な肩こりや腰痛、そして最悪内臓疾患へと進行して行く。通常の病気のプロセスに似ているが、まったく違う。進行が早く最悪へと進みます。霊障の場合は憑依した人間の苦しみや苦痛がエネルギーとなり、霊の滋養となる。 その為か霊の中でも悪霊クラスは憑依しても、すぐに命の危険にはせず、じっくりと苦しめるやり方を使う。不幸は不幸を呼び、絶望を美酒として、より強力な悪霊へと成長し、憑依した人間の魂まで取り込むものと化す。これは伝説にいう魔物なのかもしれない・・・そこまでのレベルのものは少ないが悪霊候補は星の数ほど存在している。
[念]:念とは生きた人間の想いだ。いい想いなら何の心配もなく、逆に助けになる。しかし、悪意ある念は危険である。念自体は方向性がないが、一つの方向性。つまり怨みや妬みが対象の人物に向けられた場合。それは恐ろしいまでの念となり、相手を押しつぶす勢いがある。世の中にはそれを武器だと勘違いする方がいますが、念を送るのはそれだけの力が必要です。思いが強ければ届きますが、それだけの消耗もあります。死ぬ思いをしても怨む相手ならば、それでもいいでしょうが。相手が自分は「恨まれる」と自覚があれば逆に念の効果はない。なぜなら、相手はその悪意の念を弾く念を持っているからだ。この場合はケンカのにらみ合いと一緒で、睨みの効く方が勝つ。 他の念では恋愛における執着の念はしつこく、ネバネバで離れない。それを浄化の形で、消すか。相手に送り返すのが得策だ。念には霊に対する浄化法は効果がありません。念には念の浄化法があります。当たり前の話ですが、霊的なものとして対処すると同じ扱いをしてしまうようです。お気をつけ下さい
[呪法]:呪法と言っても星の数ある。しかし、基本はあまり変わらない。呪法というのはそれを行う術師の崇拝する神への祈願により、その祈願成就のための力を、神からいただきことにある。その為に、術師は崇拝する神の世界に霊的に触れていなければならない。そうすることで、霊的を行使できるようになる。 その霊的干渉が出来るようになるための修行は過酷を極め、まさに選ばれた者のみの力といえる。その力を使い、祈願成就させていくことが出来る。
[調伏]:調伏とは、密教や修験道の修法呼び方です。修法といっても色々なものがあります。ここで言う調伏は護摩壇にて行うものですが、我々の調伏は復讐系を中心としています調伏にはその本尊たるものも力が、その術を成功させるのに重要です。修験密教の本尊は「飯縄権現」といいます。この神は過去、武田信玄の守り本尊として勝戦地蔵尊と共に祀られた神です。その後も多くの武将の加護として大切に保護されてきた。呪詛最大の神である。 敵を滅ぼす神としては最高の力を有しています。「飯縄権現」は管狐(くだきつね)を使役し、信仰する家には管を遣わし、財を与えるともいわれています。ただし、信仰ではなく利用だけを考える方々には、破滅を誘う神です。




